オタリーマンとか801ちゃんとかその辺が大嫌い。

シモの後はネガティブな話しをしとけば後で書くネタの敷居も下がるだろう。本音ですが。

ぼく、オタリーマン。

ぼく、オタリーマン。


最近のオタクのメディア露出って、個人で目立つ場合は「オタクも一般の人と同じように生きている!」とか「恋をする!」とか、そんなのがやたらと多い気がする。で、結構な部数が売れたりする。オタク相手じゃなくて一般人相手に。じゃあその後どうなるのか。
オタクという生き物の生態に興味が集まる。そりゃ元々ある程度の需要はあったけれど、ネットの普及でそれ以上のものが生まれる。で、「オタクってどんなもの?」という企画を組んだ時、一人だけを取り上げるわけには当然いかないわけで、そうなると必然的に複数のオタクが選ばれる。意図が動くこともあるだろうけど、ここでは好意的に「ランダムに選ばれる」と仮定して。
したらどうなるかって、オタクの性質からいって「キモ」いのが高確率で出てくるでしょうが。人がキモいかキモくないかってのは基本的には顔よりも服装髪型体系の後天的要因が占める割合が多い(性格は別として)。で、これまでいろんな人を見てきた経験から言って、オタクにはそれらの事に興味の無い人が多い。だから「キモ」いのが出てきます。したら「ああやっぱオタクキモいわ」で終わる。最低だ。
ここまで書いといて「オタクと一般人を二元化しすぎだ!」と思われるかもしれないと気付いたので言っておくと、世間的にはっきりと線引きがされているので、二元化して問題は無い。
別にキモいのはいい。だってオタクって基本的に性欲に従って生きてるから、そりゃオタクというカテゴリはそれだけでキモいし、外見もそれに従うようにアレな場合が多いし。オシャレなオタクもいる!ってそんなもん一部でしょう。全体見れば薄まるどころか消えてしまうくらいの存在率だ。だから、キモいということそれ自体には何ら文句を言う気は無い。しかし、昨今のメディア露出は、その認識を必要以上に凝り固まったものとし、偏見を生むような物だとしか思えない。
オタクであることを売りにしてオタクの地位を更に低くする、もしくは道化とする。それが、オタリーマンやら801ちゃんやらのやってることだ。オタクの地位向上!と思ってる節があるのが更にアレ。
オタクは底辺でいい。ただ目に付かない底辺でありたい。だって結局、オタクの本性がバレたら引かれるのは目に見えてるでしょう?声優が歌番組に出るだけでイロもの扱いされてるのに、同人の深いところまで知られたら、どうするの?もっと貝のように閉じていようよ。